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2014年9月16日火曜日

山崎武志の自己PR、再就職活動

480021940Xさらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年 : 山﨑 武司/宝島社

さらば、プロ野球」より抜粋。


 しかし、残念ながらローズもただのアホでした。僕の警告を単なる挑発と受け取り応戦してきたのです。
 「敬遠はみんなが『なぜ?』と思うこと。山崎は21年間で290何本しか打っていないが、俺は日本での12年間で400本近くホームランを打っているんだ。どっちがアホだ。彼が6年連続で40本打ったら話をしてあげようじゃないか」
 本当に態度が幼稚すぎて話すのもうんざりしてしまいました。「実績のことを言っているんじゃねえよ」と思いましたが、だったら実力で勝負してやろうと僕は誓いました。
 結果、二冠王。僕は自分のバットでローズを黙らせたのです。

~(中略)~

(大島を褒めちぎったあと…)
僕は大島(洋平)が小学生の時に野球教室で教えたことがある

~(中略)~

 野球教室といえば、チームは違いますが、ロッテの角中勝也も小学生時代に教えたことがあるそうです。
 これも人から聞いた話なのですが、彼の父親が「山崎選手に褒められたことで、息子も自信をつけてプロで首位打者になれた」と言っていたそうです。
 そう言われて思い出しました。角中は独立リーグの四国アイランドリーグ出身の苦労人ですが、小学生の頃からスイングがとてもきれいでした。そんな彼を見て感心した僕は、上級生である中学生に「この子のスイングを見てみろ。きれいだろ。とても参考になるから見ておこう」と教え、小学生の角中に「頑張れよ」と激励しました。まさか、その子供がプロで首位打者になるなんて……。。驚きとともに、「俺の見る目は正しかった」と自分で自分を褒めたものです。

~(中略)~

世界的なスーパースター・イチローにも絶対に媚びない(見出し)

イチローはどこにいても主役になれる男。僕は彼に比べればたいした実績は残していませんが、人生ではいつでも主役でありたい。だから、これからもそのくらいの距離感を持って付き合っていきたいと思います。

~(中略)~

 やんちゃ坊主。練習嫌い。そんな僕ですが、正反対の理念を持つ工藤さんと定期的に話すことで自分を律することができる。「名電魂」と言うと大袈裟かもしれませんが、高校の大先輩である工藤(公康)さんの言葉だからこそ、僕は真摯に受け入れられたのだと思います。
 工藤さんはいずれ指導者としても成功を収めるでしょう。できることなら、どのような形であれ大先輩と同じユニフォームを着たい。そんな目標も密かに抱いています。



さらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年 : 山﨑 武司/宝島社
480021940X

たまるD: 山﨑武司「さらば、プロ野球」

山崎武司vs高木守道

480021940Xさらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年 : 山﨑 武司/宝島社

「さらば、プロ野球」より抜粋
「VS高木守道」編。


 そして、第二次政権での高木監督の野球は、やや緻密さに欠けたような気がします。
 例えば選手起用。競った展開で8回に4番から始まるとしたら、その時点で8番か9番バッターのところで代打を想定し、起用する可能性がある選手数人に「ベンチ裏で素振りしておけ」と指示を出すものなのですが、それが行き当たりばったりだった。実際、その場面が訪れた時に「誰がいい。じゃあ、あいつにしよう」といった感じで選手交代をするから、打席に立つ選手は準備もろくにできず打席に立たなければならない。結果、凡打に終わる。そんなことが多々ありました。
 ピッチャー起用にしても同じでした。5回まで3人の投手が投げていたとしたら、6回からマウンドに上がるピッチャーには同点や延長などの場面を想定して2イニングなど長く放らせることがセオリーとして考えられますが、高木監督は打たれればすぐに代えてしまう。つまり、1試合を通してのプランニングが希薄だったのです。
 12年には権藤博コーチとの確執などがメディアに収り上げられましたが、そういったところが原因と言えば原囚だったのでしょう。高木監督自身、野球が大好きなあまり自分の感覚を押し通してしまう強情さもあった



山崎武司vs星野仙一

480021940Xさらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年 : 山﨑 武司/宝島社

VS星野仙一


 これは多少、反論めいた表現になってしまいますが、構想外には今でも納得できない部分があります。僕自身、引退は覚悟していました。星野監督から告げられれば本望だと思っていました。
 ならば、なぜそれを球団の総意としなかったのか?
 監督に直接、「来年の構想には入っていない」と言われた。それが、他の球団幹部も一致していればいいけど、僕が知る限り、とてもそのようには感じられなかった。12年間も仕えてきた選手として、それだけは悔しかった。
 ただ、僕を葬ったこともあって、1年後にはジョーンズやマギーなど大物を獲得することができ、銀次や岡島豪郎など若い力も台頭。13年の日本一へと結実させた。ブレのない「血の入れ替え」。時に非情にそれができる星野監督は、やはりすごい男なのだと感心はしています。


山崎武司vs落合博満

480021940Xさらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年 : 山﨑 武司/宝島社


「さらば、プロ野球」より抜粋。

「VS落合博満」編


「バッターとしては目標にしてもいいけど、人間性は絶対に真似したくない」

 僕は入団したての頃から先輩たちに「若年寄」と呼ばれていたくらいですから、最初の頃は豊田誠佑さん(現昇竜館々長)など先輩から「てめえ、生意気なんだよ!」とよく怒られたものですか、いつまでたっても目上の人間に媚びない自分を認めてくれたのか、最終的に可愛がってくれる方が多かった。
 でも、落合さんだけはでも、落合さんだけは最後まで僕に見向きもしてくれなかった。というより、誰であっても寄せ付けないオーラを発し続けていました。

 2004年に中日の監督となってからの落合さんは、「勝利至上主義」を貫き四度のリーグ優勝に1度の日本一と実績は確かに残したでしょう。でも、「自分の思い通りに動かない奴は試合に出さない」といった雰囲気を出すやり方を僕は認めたくない。監督は選手の個性をうまく引き出さなければならない。でも、落合さんにその能力があるとは思えない。
 実は今回、次期監督が話題になっている時に、「落合さんだったら最悪だな」と思っていました。
 結果的にGMとなり、谷繁元信をプレーイングマネージャーに据えたわけですが、僕から見たら監督時代と何も変わっていない。谷繁の参謀役に森繁和さんをヘッドコーチに任命しましたが、本来、参謀役を決めるのは谷繁のはず。監督が最も気が合い、指導者としての力量もある人問を抜擢すべきところを、落合さんの権限でそのポストが決まった。
 これでは、チームは強くなるかもしれないけど革新は望めない。中日OBとして、それは悲しいことです。


山崎武司vs高代延博

480021940Xさらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年 : 山﨑 武司/宝島社


■「VS高代延博」
 「監督に媚を売る指導者ははチームに必要ない」 
 権力にものを言わせる指導者もどうかと思いますが、それだけならぱ無視していれば済む話なので、僕にとっては無害といえば無害なのかもしれません。だけど、それに加えて上司に媚びる指導者はタチが悪い。僕が中日でレギュラーだった1999年、高代延博というコーチが首脳陣に入閣しました。この方は、それに該当する典型的な指導者でした。
 シーズンに入ってからは、高代さんの進言でスタメンを外れることが多くなりました。調子は悪くないのに、選手との個人的な確執という、いたってくだらない理由で外されたのです。 
 高代さんはノックの名手として評価されているかもしれない。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で二度(2009年、13年)もコーチを務めて株を上げたのかもしれない。でも、僕にとってはただのおべっか使いでしかありません。選手目線で対話かできない指導者は、いつまでたっても「名コーチ」にはなれないと僕は断言します。

具体的事例が乏しく、意見としては弱いかなと思う。スタメンを外された私怨にしか聞こえないような…。


さらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年 : 山﨑 武司/宝島社
480021940X

たまるD: 山﨑武司「さらば、プロ野球」

山崎武司vs伊原春樹

480021940Xさらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年 : 山﨑 武司/宝島社



VS伊原春樹

「プライベートの優しさを生かせなかった伊原春樹監督」


「それが、こと野球になると気遣いの姿勢がゼロになる。
 04年4月のナゴヤドームでの起用法然り。監督としての伊原さんは、どうも自分のことしか考えていないように思えてなりませんでした。
 西武ライオンズの監督となった02年に就任1年月にしてチームを優勝に導くなど、その手腕は高く評価されているかもしれませんが、個人的には「その程度か」と思うことが何回もありました。
 例えば采配。2ランスクイズやヒットエンドラン。これらは相手の作戦を見越した奇襲が好きなのであって、それは野球の恨本的な戦術ではありません。奇襲ばかりやって勝てるのであれば、どのチームだってやります。野球とはやはり1試合、1シーズンをいかにプランニングするかが重要。伊原監督にはそれが大きく欠落していました。」


 なんでこの人は、ユニフォームを脱ぐとたちまち常識人になるのだろう…。そのギャップがまた、僕の怒りに再び火をつけてしまったのです。
「何言ってんだよ、あんた、今まで自分がしてきたことを分かってんの?もう、俺とあんたは終わってるの」
 それが伊原さんとの最後の会話でした。
 14年シーズンから西武の監督に復帰することになったようですが、果たしてどんなチームになるのか……。正直、あまり興味はありませんが。



さらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年 : 山﨑 武司/宝島社
480021940X

たまるD: 山﨑武司「さらば、プロ野球」

山崎武司vs山田久志

VS山田久志

これは結構、有名な確執なので、当然、「さらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年」の中でも語られています。
 01年にFA権を行使し、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)への移籍を決めかけていた僕を説得してくれたのは中日球団であり、この年のオフから監督に就任した山田久志さんでした。
 「中日に残って、俺たちと一緒に職っていこうじゃないか」
 何よりも自分を必要としてくれるチームで野球をやりたかったため、新監督となった山田さんから熱心に引き留めていただいたことも、中日に残留した大きな理由のひとつだったことは第1章で述べた辿りです。
 でも、山田さんを信じた僕がアホでした。「一緒に戦おう」。その言葉はすなわち、一蓮托生を意味します。いい時も悪い時も、いつでも同じ思いを共有し戦い抜く。義理と人情を大事にする僕は、山田監督の想いを信じて疑いませんでした。

 僕にとってバットとは刀、それを利己的に奪った山田監督を絶対に許しません

 思えば、01年オフには中村武志さんかトレードで横浜に出され、久慈照嘉も僕と同じ02年オフにチームを離れることとなりました。彼らもまた、山田さんによって葬られた犠牲者です。他の人問は体裁を理解して行動しているか言いづらいかもしれないので、僕が代弁しましょう。
 「ああいう指導者には絶対になるな」と。

 彼は試合後、メディアに向かってこう言い放ったのです
「打線が必死に繋ごうとしても、プツッと攻撃を切ってしまう選手がいる」
 打てない自分のせいで負けたことは認めます。でも、仮にもレギュラーとして起用した監督が、公衆の面前でそんなことを言っていいものか?その神経が理解できず、その後の苛立ちと言ったらもう、高代さんの時の比ではありませんでした。

 和解したなんて噂も聞いたけど、遺恨は残ってるようだ。
 山田さん自体はどう思ってるんだろうな。解説を聞いていても、山崎に対して敵対心のようなものは感じなかったけど。


さらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年 : 山﨑 武司/宝島社
480021940X

たまるD: 山﨑武司「さらば、プロ野球」

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