VS山田久志
これは結構、有名な確執なので、当然、「さらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年」の中でも語られています。
01年にFA権を行使し、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)への移籍を決めかけていた僕を説得してくれたのは中日球団であり、この年のオフから監督に就任した山田久志さんでした。
「中日に残って、俺たちと一緒に職っていこうじゃないか」
何よりも自分を必要としてくれるチームで野球をやりたかったため、新監督となった山田さんから熱心に引き留めていただいたことも、中日に残留した大きな理由のひとつだったことは第1章で述べた辿りです。
でも、山田さんを信じた僕がアホでした。「一緒に戦おう」。その言葉はすなわち、一蓮托生を意味します。いい時も悪い時も、いつでも同じ思いを共有し戦い抜く。義理と人情を大事にする僕は、山田監督の想いを信じて疑いませんでした。
僕にとってバットとは刀、それを利己的に奪った山田監督を絶対に許しません
思えば、01年オフには中村武志さんかトレードで横浜に出され、久慈照嘉も僕と同じ02年オフにチームを離れることとなりました。彼らもまた、山田さんによって葬られた犠牲者です。他の人問は体裁を理解して行動しているか言いづらいかもしれないので、僕が代弁しましょう。
「ああいう指導者には絶対になるな」と。
彼は試合後、メディアに向かってこう言い放ったのです
「打線が必死に繋ごうとしても、プツッと攻撃を切ってしまう選手がいる」
打てない自分のせいで負けたことは認めます。でも、仮にもレギュラーとして起用した監督が、公衆の面前でそんなことを言っていいものか?その神経が理解できず、その後の苛立ちと言ったらもう、高代さんの時の比ではありませんでした。
和解したなんて噂も聞いたけど、遺恨は残ってるようだ。
山田さん自体はどう思ってるんだろうな。解説を聞いていても、山崎に対して敵対心のようなものは感じなかったけど。
■さらば、プロ野球 ~ジャイアンの27年 : 山﨑 武司/宝島社

たまるD: 山﨑武司「さらば、プロ野球」
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